不毛な美

カストラート(CASTRATO)

※中世ヨーロッパに普及した去勢された男性歌手(同じ語源の英語の動詞'castrate'は「去勢する」という意味)。
変声期前の少年を去勢手術によって声変わりを防ぎ、少年の声域を保った歌手のことを指す。
※男性を去勢することにより男性ホルモンの分泌を抑制し、男性の第二次成長期に顕著な声帯の成長を人為的に妨げ変声期(俗にいう「声変わり」)をなくし、ボーイソプラノ時の声質や音域をできうる限り持続させようとしたもの。
※一説によると、最古のものは14世紀に登場したともいわれ、歌う目的で一般化したのは1550年〜1600年頃のローマ教会といわれている。途中、イタリアを中心に教会音楽からオペラに進出し、1650年頃から1750年頃にヨーロッパ各地でそのピークを迎える。途中、ナポレオンが禁止令を出したが廃れることはなかった。オペラなどのクラシック音楽でのブームが過ぎ去った後もローマ教会では継続していたのだが、19世紀半ばには時のローマ教皇の命により人道的見地から禁止され、廃れることとなる。
※教会内で女性は沈黙を保たなくてはならなかったため、歌を歌うことは許されなかった。よって、変声期前の男声(現在のボーイソプラノに近い形態。cf. 「特記」の段落)で構成された。しかし、変声期によって声質を変えないままその声質を維持する為に、意図的に男子を去勢することによってはじまったとされる。
※そのピークには、毎年4,000人以上にも及ぶ7歳〜11歳の男子が去勢されたとの記録が残っていて、次第にその候補は下層階級へと移ってゆき、主にその親が一旗挙げる目的や、口減らし目的に利用した。しかしながら、当時の医療体制の未熟さや衛生環境などにより、去勢手術を受けた多くの男子の命が感染症などで失われたと憶測されている。さらには、去勢される対象の男子が、それ以前よりボーイソプラノなどの技術や音楽知識を有していなくてはならず、手術を受けたものの歌手としての素養のない者も多く、(あくまで今日の視点から後付けで判断して)親の欲求のために無駄に去勢されてしまったといってもいいような男子も多かったと推測されている。
※セネジーノ、カファレッリ、グァダーニなど、多くのカストラートがオペラ界に進出して当時の社会現象ともなり、実際にその歌声を聞いて失神する上流階層の女性も少なくなかったという記録も残っている。また、2〜3ヶ月公演するだけでその国の首相の年俸を超える者も出てきたという。
※去勢と言っても、中国の宦官のように外性器全てを切除されるのではなく、睾丸のみを摘出するため、女性との性交が可能であったか、が論議されることもある。実情は明らかではないが、彼らがご婦人方にモテたことは事実である。

カストラートとは - はてな
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AB%A5%B9%A5%C8%A5%E9%A1%BC%A5%C8?kid=74232
カストラート - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%88

宗教のほとんどに共通しているのが、女性が不浄の者とされている点。現在でも、日本を含め、世界各地で女人禁制の聖地がある。仏教が根強く浸透していた日本での男尊女卑というのは元はこうした宗教的な見地から発したのではないかとか思ってみたり。なぜに女性は不浄な者なのか、というお話はまた今度。
そういうわけで、教会で女性は歌を歌えないけど、やっぱどうせ聞くならキレイな声がいいじゃん?って理由で去勢してしまうとか現在の感覚で考えれば意味わかんない。
中国における宦官、纏足、アフリカで現在もまだあるとされる風習の女性器切除、首長族、耳長族いろいろ。自らの身体を傷つけ形を変えてまで美を追求するような風習や宗教行動は日本にもあったのだろうか。思いつく限りでは、貧しい家が口減らしのために遊郭に娘を売ったとか使用人として丁稚奉公させたとか、老人を山へ捨てたとかそのくらいしかわからない。美を追求するとか宗教的風習とも違う。貧しさ故のどこの国にもありそうなことだ。もしかしたらあるのかもしれないので、調べてみたいと思う。
なんていうか、神聖な教会がこんなもんを奨励していたことが驚き。時代によって常識とか道徳とか様変わりする。現在でこそ貧富の差がなくなったので「なんてひどいことを!」と思うけど、普通に生きて行くことすら難しい貧しい家はちょっと苦しい思いをしてそれで命がつなげるのなら・・・と喜んでやる気持ちは分からないでもない。現在でも貧困な国の人たちは人身売買や臓器売買をやっているし、犯罪に手を染める人も少なくない。「そんなのひどい」と怒りを覚えたり、同情したりできるのは裕福で安全な立場にいるからかもしれない。
今日を生き延びられるかという切迫した世界に生まれていたら、と考えると常識も道徳もいとも簡単に姿を変えるのだと思う。
そしてこれは私の偏見かもしれないけど、いつの時代もお金持ちというのはどこかおかしい気がする。まあ、平民の意見ですが。